いわきスポーツ【週2回(火・金曜日)読売新聞・福島民友に折り込み】に平成19年2月16日から5回続きで掲載された、「福島高専ホープスの誕生から現在まで」の連載です。

1回目 平成19年2月16日 第259号

2回目 平成19年2月23日 第261号

3回目 平成19年3月 2日 第263号


4回目 平成19年3月 9日 第265号

5回目 平成19年3月16日 第267号

ゴールデンゴールズいわき大会御礼文 平成19年3月30日 第270号
「また野球がやりたい」
 
 私はある試合で「想いの力」という存在に気がつき、その「想いの力」によって、その試合に勝てたような気
大喜びでホームランを放った4番水井を迎えるナイン。のちにホープス創設のきっかけとなった思い出の試合だ。
がします。今振り返ると、その試合こそが「福島高専ホープス」誕生の瞬間だったのかもしれません。
 第86回全国高校野球選手権福島県大会の3回戦。昨日の雨で一日順延となった県営あづま球場には、焼き付けるような真夏の日差しと共に、純白の伝統のユニフォームを纏った「福島商業」が待ち構えていました。ベンチに入り、相手に目をやると予想以上に純白のユニフォームがまぶしく大きく見え、スタンドからのブラスバンドや応援団の大声援に包まれていました。
 午後1時過ぎ、福島商業スタンドからの割れんばかりの拍手の中、プレーボールがかかりました。ホームベース上での挨拶を終え、ポジションにつく高専の選手を見た瞬間、"伝統の力"に脅えているのは、監督である私だけだと気がつきました。高専のどの選手の表情も自信に溢れ、勇ましい顔をしていました。案の定、2回表に福島商業に1点を先制さるものの、ベンチに戻ってくる選手の顔からは、笑顔が溢れていました。必ず終盤でひっくり返してみせるという気迫をみなぎらせながら。しかし、相手は古豪で試合巧者の福島商業、そう簡単にはいきません。高専が6回裏に連打で逆転するものの8回表に小技を絡められ決定的な3点を奪われます。8回裏を無得点に抑えられ2対4となったとき、私の心の中には、しまい込んだはずの弱気の虫がまた顔を出し始めました。
 9回表の相手の攻撃をなんとか無得点に抑え、いよいよ9回裏の最後の攻撃を向かえました。代打の切り札を送り出すものの、あえなく三振でツーアウト。この時、まだ逆転できると思っていた選手や応援団はいたのでしょうか。私自身は確実に"負け"を意識したのを覚えています。
9回裏二死ランナー無しの場面でバッターボックスには二年生の小柄な北島が立っていました。北島の打った力のない打球がセカンドに飛び「あっ、終わったかぁ・・・」と思った瞬間、相手二塁手のグローブからがボールがはじき出ました。二塁手が転がったボールを拾ったときには、既に一塁上には北島のヘッドスライディングで捲き起こった砂埃が立ちこめていました。今思えば、それは奇跡と呼ぶべき大逆転劇の、のろしだったようにさえ感じられます。動揺した相手投手が、次のバッターの赤川に四球を出し、二死一、二塁。長打が出れば同点のチャンスを作り、さらにキャプテンの野崎がレフト前ヒット、佐藤がセンター前ヒットと続き、気がつくと1点差になっていました。私は不思議と「終わったかぁ・・・」と思った9回裏ツーアウトから1点差になるまでの記憶がほとんどありません。それは、直前まで"負け"を強く意識していたためか、"勝つ"という気持ちへの切り替えをするには、あまりにも時間が足りなったからだったのでしょうか。相手がタイムと取り、ひと呼吸ついたとき、初めて"勝つ"を強く意識したのを覚えています。私はベンチを飛び出し、バッターボックスに向かう水井を呼び戻しこう言いました。「みんなの想いを乗せて打ってこい。俺はお前を信じている。」
 二死満塁、得点は1点ビハインド。バッターボックスには不動の4番打者。こんな漫画のワンシーンのような緊張感に包まれたシーンに、乾いた金属音が鳴り響いた瞬間、白球は弧を描きレフトスタンドに突き刺さりました。みんなが止まらぬ涙を拭おうともせず、水井を迎えました。勝ったのです。逆転サヨナラ満塁ホームランで。私自身何年ぶりに溢れ出た涙だったでしょうか。ベンチを見ても、スタンドを見ても誰もが泣いていました。あの衝撃的な残像は今でも私の脳裏に強く焼きついています。
 次の試合、日大東北に敗れこのチームの夏は終わりましたが、選手達は、一生ものの素晴らしい夏の日を送ることができました。敗戦から数日後、水井が放った逆転サヨナラ満塁ホームランには、「想いの力」というものがあったと私は確信しました。当然、打った水井の努力は素晴らしいものがありましたがそれだけでは、野球の神様は水井に打たせなかったと思います。いろんなたくさんの「打たせたい」、「勝たせたい」という想いが後押しをしてくれたから奇跡は起きたのではないかと。
 福島商業戦を迎えるにあたって、相手チームの情報が全く無い中、実力が上の相手に勝つには、何らかの策が必要でした。しかし、その策を講じるための情報が無かったため、私の学生時代の同級生が福島商業の練習や2回戦の戦い振りを実に詳細にメモしてきてくれたのです。場所は福島市内、しかし同級生の職場は東京、私はいわき。同級生は夜中仕事をして、早朝東京を出発し福島市内で練習や試合を見て、夕方、いわきの私のところにそのメモを届けて、仕事のためにまた東京へ帰っていきました。雨で順延もあってそんな日が数日続いたのを覚えています。そのメモの内容は福島商業の豊富な投手陣の配球パターンなど、試合のここ一番を左右する場面では必ず生きてくるメモばかりでした。水井が打ったワンツーからのインコースの直球は、まさにそのメモ通りのものでした。でも内容以上にありがたかったものは、同級生の想いでした。自分のできることをしたい。後輩である選手達の笑顔が見たい。自分が何かを頑張れば野球の神様はきっと後輩達に微笑んでくれるのではないかと。この同級生は、福島商業戦に勝った後、ゲンを担いで次の日大東北戦に負けるまでの数日間、朝から晩まで福島商業戦前日と同じ行動をとったそうです。野球の神様に感謝しながら。
 聖光学院の優勝で終わった夏の県大会、聖光学院が大活躍した甲子園をテレビで観戦し、選手達の夏休みは終わりました。夏休み前までは、毎日が野球中心の生活でしたが、夏休み明けには生活の中に大好きな野球が無くなっていました。野球ができない寂しさと虚脱感を受け入れようとしながらも、また野球をやりたいという気持ちは選手達の心の中で以前よりも強くなっていました。
そんなある日、選手達は私にこう言いました。「もう一度野球がやれませんか。」純粋な分、難しい選手達の願いを聞いた時、私は自分の学生時代を思い起こしました。その私に訴えかける選手達の姿や想いは、十数年前の自分と同じだったからです。
 

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