いわきスポーツ【週2回(火・金曜日)読売新聞・福島民友に折り込み】に平成19年2月16日から5回続きで掲載された、「福島高専ホープスの誕生から現在まで」の連載です。

1回目 平成19年2月16日 第259号

2回目 平成19年2月23日 第261号

3回目 平成19年3月 2日 第263号


4回目 平成19年3月 9日 第265号

5回目 平成19年3月16日 第267号

ゴールデンゴールズいわき大会御礼文 平成19年3月30日 第270号
「野球ができることに感謝」
 
  燃えさかるバスを後方から、呆然と見つめることしかできない無力な自分達が高速道路にいました。消防車が到着した頃には既に、数分前まで乗っていた夢がたくさん詰まっていたバスが、強烈な焼けこげたオイルの臭いを放ちながら鉄のフレームだけを残し、無惨な姿となっていました。あまりにも突然過ぎる出来事に、裸足で路上に飛び出した選手もいました。荷物など持って逃げる余裕もなく、ただ本能だけで、窓から飛び降りたという感じでした。
黒焦げになったバスを前に呆然とする選手たち

目の前に起こっている事実を理解しようとしても、冷静になれず、あまりの衝撃に言葉すら掛け合えませんでした。警察の現場検証が終わり、燃え尽きたバスに近寄った時、初めて事の大きさに気が付き、冷静になることができました。選手達は涙を流しながら、燃え尽きた残骸から、すすだらけになりながら想い出の品を探していました。形をとどめていた物はほんのわずかでしたが、選手達は大事そうにナイロン袋に入れていました。
いわきからの迎えのバスが事故現場に着いたのは、夕方でした。バスに乗り込むとなぜか涙が止まりませんでした。安心したのか命があったことに感謝したのか、全てが燃えてしまって悔しかったのか、その涙の意味はわかりませんでした。いわきに着いたのは、深夜となっていましたが、たくさんの方が高専グランドで出迎えてくれました。その予想以上の人の温かさと励ましに止まったはずの涙がまた溢れ出しました。なんとか試合に出してあげたいというたくさんの方の気持ちがうれしくて言葉になりませんでした。市役所の方々は徹夜でユニフォームを確保するのに奔走してくれたし、地元のスポーツ店の方も用具などをかき集めて集まってくれました。そして何より選手達の心の支えになったのは、欽ちゃん球団からの励ましと支援でした。事故後直ぐに、私の携帯電話に連絡をくれたのが欽ちゃん球団でした。帰りのバスで欽ちゃんからの励ましの内容を選手達に伝えると、生気をなくした顔からほんの少しの元気が見えました。欽ちゃんもなんとか試合に出してあげたいとスパイクやバットを青森に送ってくれると申し出てくれました。私は、何よりも選手達の心の動揺が心配でした。用具は何とかなっても、気持ちが野球をやれる状態になれるのかが。それを振り払ってくれたのが、温かい欽ちゃんからの励ましの言葉だったのです。言葉は時にものすごい力に変わることを痛感したような気がします。
眠れぬ夜を過ごした私と選手達は、翌朝、再び青森に向けて出発するため、高専グランドに集まりました。昨日の朝と変わっていたのは、燃えてしまった用具の他にもありました。それは、ホープス全員の野球をやることの意味でした。昨日までは、自分達のために野球をやっていたような気がしましたが、その朝は、たくさんの方の支えがあって野球ができ、その応援をしてくれたみんなのために野球をしなければという想いに変わっていました。昨日よりもたくさん集まっていただいた見送りの方の励ましに、またまた涙してしまいました。
無事青森に着いたのは、夕方近くになっていました。宿舎についてやっと安心したような気がして、二日ぶりに布団に入りました。その夜、不思議な夢を見たのを覚えています。それは、選手達が欽ちゃんや応援していただいた方々を代わる代わる胴上げしている夢でした。
朝目覚めると、既に選手達は元気に宿舎の玄関に集まっていました。みんな借り物のサイズの合わないユニフォームを着て。しかし、そのユニフォームにもグローブもスパイクも不思議に自分自身では、愛着ある用具に感じられました。応援してくれた方々の温かさという想いの力が、ホープスに見えない力をくれたのだと思います。
試合は予選リーグの2試合とも敗れてしまい、期待には応えられませんでしたが、結果以上の素晴らしい経験をさせていただいた大会となりました。
悪夢のようなバス火災事故から数週間後、今度は耳を疑うようなニュースが飛び込んできました。「欽ちゃん球団が解散」という衝撃的なニュースで、私達は驚くしかありませんでした。つい数週間前に励ましてもらった欽ちゃんがテレビの画面で泣いていました。すぐさま、何かできることはないか選手達と話し合い、ホープスの想いを込めた嘆願書を送ることを決めました。選手一人一人がバス火災時にお世話になった御礼と野球をやれることの喜びを綴りました。私は、そのホープスの想いを込めた嘆願書を携え東京の事務所に向かいました。
翌日、欽ちゃんのうれし涙と共にチームの存続が決まりました。ホープスのみならず全国の方々の想いの力が欽ちゃんの心を動かしたのでしょう。
その後、昨年9月に福島市に欽ちゃん球団が来県した際に、あいさつをさせていただく時間を頂戴しました。数ヶ月ぶりの再開までにお互いにいろいろあったことを話しと欽ちゃんの顔が以前お会いした時よりも更に柔和になっていたような気がしました。その時、ホープスからのプレゼントとして、バス火災の時に見た夢の様子を描いた絵を受け取ってもらいました。その絵には「野球ができることに感謝」という両チームの想いを書き足して。
そしてこの3月、欽ちゃん球団をいわきに向かえて、念願の再戦をすることになりました。この試合は、バス火災事故の時に応援いただいた方への感謝の意を込めて行うもので、その趣旨に賛同いただいた欽ちゃんの配慮にただただ感謝しなけれななりません。しかもバス火災事故にあったホープスの5年生は4月にいわきを巣立っていくため、その卒業祝いというプレゼントの演出にも。
ホープスの5年生の中に、将来指導者を目指して、大学に進学する選手がいます。彼がいつか高専グランドに戻ってきたとき「想いの力」の経験を、「感謝」という体験をした事実を次の世代の子供達に伝えてくれる指導者になることを信じつつ、私自身も社会に恩返しをできる人間にならねばと思っています。その恩返しの一つとして私は、今回の欽ちゃんとの試合を通して、いわきの子供達の心にできるだけたくさんの"恩返しという名の種"を蒔ければと思っています。その種をこれから出会うであろうたくさんの方々に育ててもらい、花を咲かせてもらい、実を付けてもらえれば、いつしか、結果的にホープスがこれまでいただいた御恩に恩返しができるのではないかと信じて。
「野球ができることに感謝」ホープス、欽ちゃん球団、両チームの想いが、いつしか野球に携わる人、みんなの想いになることを願って、3月21日を迎えたいと思います。
 

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